昭和41年12月17日 朝の御理解
相撲とか柔道とか、力とか技とかといった様なものが、どうでも必要でありますように、その信心も、やはりそれが必要ですね。勿論力は頂かなきゃなりません。神様をいよいよ信ずる力なんです。と同時に、やはり技も必要なんです。いうならば、相手の力と云うものを利用する。逆用する。向こうの力を利用して、勝利を得ると、そういう道理とおんなじ様なことが信心の上でも私は言えると思う。
だから、技だけではいけん。そういうことを知っておるだけでは、やっぱり根本となるものは力である。力無しには出来ません。だから、しっかり信心をさせて貰って力を頂く。力を頂かなければですね、信心頂いて居る値打はないです。これが信心の力だと思う。どんな場合でも、へこたれるどころではない。そこから元気を出して行けれる。そこを又有難く思えていけれる。
人が不平不足を言うておるのに、心の中には有難いと感じておれれるという様な人間真のこの幸というものを目指して行くのが信心ですから。稽古の差によって、それが出来るのです。ほんならまぁそんなら私、その信心の力を頂くということについて、皆さんに色々の角度からお話させて頂くんでございますけれども。そのまためぐりと立ち向かう、めぐりと立ち向かいます時に、めぐりの力が大きければ大きい程です。
やはりこちらもその力を以てそれに応じていかなければならんと同時に、その相手の力を利用する。力を逆用する。そして相手を負かしていこうという生き方。相手の力が強ければ強い程ですね、そこに見事にそれを決まっていく時に、もう何と言うですか、身の透くようなその勝ち方をする。あの土俵上に見る、あれとおんなじです。もう二十年も前の話ですけれども、まだ若先生が四つか三つ位の時でした。
引き揚げて帰って間もなくの頃でした。まあだ今そこんところがお縁で、そこから出入りしておった。表で遊んでおりましたら、私はその表を、遊んでおるのを見ておりますと、今のように、自動車は多くありませんから、自転車が確かまぁだ、多い時分です。もう私の目の前でですね、もう本当に、下から、こう縦しに、こう自転車が敷いて行った。もう、びっくりしてから、あの泣きよる。私が、すぐ、それを、抱え抱いてから、お縁に休ませました。
それから、今度、近所の方が、それを見ておられましたからですね、もう、急いで出てきてから、その、自転車が逃げよる、自転車の所を、こう握っておられますもん。それを、私が、もう本当にすみません、子供が出てから、御迷惑かけて済みませんでしたと。どうぞ、早う行って下さい。向こうの人は、怪我どもしていなさらんでしょうか、と言うて、降りてから、その、まあ見舞いの一つも言おうとしておられたんですけれども。私は、もう本当に御迷惑かけて済みません、どうぞ、早う行って下さい。
急ぎよんなさるとに済みませんでしたと言うて私は言ったところが、近所の人が自転車を捕まえて、もう逃げちゃならんと思うてから、捕まえちゃった訳ですたいね。ですから私が、そんな風に言よるもんですから、もう拍子の抜けたごたる風でですね。折角自分がこうして捕まえちゃっとるとにち言うて、かえってその、捕まえて貰ってる人には、気の毒なことでしたけれども。もうその見て居る者もその本人もです、もうあっけにとられて、降りてから、断りぐらい言うて行かんか。
ようと見てから診察してから、その、どっか悪かなら、養生費ぐらいお前から貰わにゃいけんといった様な、ほんに、言われても仕方が無い様なところをですね、どうもすいませんでしたと、どうぞああた急ぎよんなさるとに、どうぞ早うもう行って下さいとこう言う。相手の方が拍子抜けしたごたる。これなんかは、いわば、ある意味で私のその当時の信心の力と云う事だけではなくてですね、相手のめぐりの力を以て、相手を投げた感じが致しますでしょうが。
相手は拍子抜けしとる位な、これはまあ、これはもうほんとに、私の二十年前の信心のことですから、細やかなことではございますけれども、私は、その後に於いてからでもです。何時もそういう調子、どういう様な大きなめぐりが落ちかかってくる、のしかかってくる、それにぶつかるような事がありましてもです。その拍子、その時、その時にです、そういう拍子、そういう調子を、利用してですね、私はまあ、相手を投げてきたような気が致します。
これなんかは私はめぐりの力をですね逆用する。それでそのま帰られてから良く私が見たところが、別にどうもしとらん、かすり傷もしとらん。ここが痛いという事も言わん。そういう様な勿論おかげを頂いとりますけどもですね。一事が万事でございます。まこのこうしておかげ頂いとりますとです、様々な事が起こって参りますよ。そういう時に私は、ほんとにあのそういうスキッとした、いや相手が調子が抜ける位に。
そこんところを見事に受け止め投げ止めて行くと言うか、と云うような、私はおかげを頂かなければ駄目だと思います。そういう信心をです、身に付けて行くと云うことは、まあこれを信心も、やはり力、光は力なりと言われる位でございますから。お徳は力と云うのでございますから、その力も勿論、鍛えていかなければなりません。頂いていかなければなりませんと同時に、今度は、相手の力を、又、云うならば、その逆用して、相手の力を以て、その投げていくと云う様なその一つの技もですね。
お互い体得していかなければならないと思うですね。それがですね、ほんとにその辺のところを、スッキリした信心を日頃頂いていかんとです、それが出来ませんですね。そういう時に相手をごうぐってから、しこたま金でも取ろうかとね、という様な人すらあります。成程、それは取れるかも知れません。けれどもそういう、いわゆる、悪銭身に付かずで、そういうものが身に付く筈は有りません。
いやそれでいよいよ相手のめぐりを大きく太くめぐりに力を与えるようなことです。ここのところを一つ、信心させて頂きながら分からして貰うて、本当に、その辺をですね、何かもう、すきっとした気持ちで、ですたいね。それがですね、あのそこの辺が、信心させて頂いとるけん、こげん言わんならんと言うのであったら、信心が非常にかえって邪魔になります。
信心しとるけん、相手からとられるばってん、信心しとるけん、こらえとかんならんといった様なことだったら、それはもう投げられたことと同じこと。もう心がほんとにかえって、むしろ相手に済みませんと言うような気持ちなんです。これはもう一事が万事に、そういうことはございますから、そういう場合に、おかげを頂いて行く技をですね、日頃鍛えとかなければならんと思うですね。
どうぞ。